花魁とは?
花魁(おいらん)とは、江戸時代に存在した吉原遊郭の遊女の中で最も身分の高いもののことを示す名称です。同じ遊郭でも京都など上方の場合は花魁とは呼ばず「太夫」と呼ばれていました。
通常下位の遊女は張見世と呼ばれる格子のついた部屋に入って客にアピールを行いますが、花魁の場合はこれを行わず、引き手茶屋と呼ばれる店に呼び出さなければなりませんでした。花魁を揚げるためには多額の資金が必要となり、花魁を揚げたい客は遊郭で豪勢に振るまい金銭力があることを示さなければなりませんでした。このように花魁は一般の遊女と比べて格別の立場にありました。
遊女とは言ってもその最高位である花魁はただ美しければいいというわけではありませんでした。禿(かむろ)と呼ばれる小さな頃から様々な芸事や教養などを教えこまされ、美しさだけでなくそれに伴う品格や知識も必要とされました。そのようにして育成された花魁は待遇も他の遊女とは別格とされ、禿がついて雑用を行い、新造と呼ばれる若い見習い遊女が身の回りの世話を行うなどしていました。客もただ大金を払えばいいというものではなく、客としてふさわしいかどうかを花魁に認められる必要がありました。顔見世から始まり3回ほど通ってようやく一夜を共にする事ができました。
注目される花魁のファッション
花魁といえば男ばかりが夢中になったと思われがちですが、若い女性の間で花魁のファッションが注目されています。
元々、花魁は単なる遊女ではなく、その身なりの美しさから花魁道中の際などに町中の若い女性からも注目を集め、言わば現在で言うところのファッションリーダーのような役割を果たしていたのです。花魁は遊郭に通う男たちだけでなく、同性の女性からもその美しさに憧れを持って見られ、当時の若い女性はこぞって花魁の格好を真似ていました。現代で言えばファッション雑誌の表紙を飾っているモデルの格好に憧れて真似るようなものだと言えます。現在でも花魁のファッションは若い女性から注目されています。特に、成人式など華やかなイベントの時に花魁をイメージした振袖のような着物や髪型をする人が増えています。とても差し切れないと思うほど大量の派手なかんざしをつけ、華やかなイベントで目立ちたいと考える女性が増えています。
実際の花魁も多くのかんざしを差して派手に着飾っていましたが、現代の女性は自作したり、あるいは専門のショップで購入するなどしてかんざしを用意しているようです。花魁のかんざしには玉簪、芳丁、小半月、びら簪など様々な種類があります。それらをうまく組み合わせることで華やかなおいらんヘアに仕立てるのです。