とんぼ玉とは
蜻蛉玉(とんぼだま、トンボダマ)とは、穴の開いた装飾用のガラス玉(ビーズ)のこと。色ガラスを複数使い、小さなガラス玉に模様を描いたものです。日本国内で生産が盛んになった江戸時代、細かな小花模様を一面にあしらったガラス玉をトンボの複眼に見立てたことから蜻蛉玉の名がついたと言われています。
英語ではグラスビーズ(Glass Beads)、アイビーズ(Eye Beads)、中国語では「玻璃珠」「琉璃珠」などとも呼ばれています。
とんぼ玉は穴に紐などを通してネックレスやかんざしなどのアクセサリー、根付などの小物に利用されてきました。アンティークビーズの一種として世界中に熱心なコレクターがおり、日本国内にも専門のミュージアムがあるほどです。
小さなとんぼ玉には、悠久の歴 育んだ人類の叡智と美への憧憬が込められているのです。
人が生み出した宝石として
人が生み出した宝石として
とんぼ玉の歴史は古く、紀元前の古代メソポタミア、エジプトの遺跡から出土しています。ガラスが貴重だった当時は、宝石と同様に扱われました。ガラス技術と共に世界中に伝播したとんぼ玉は、世界各地の古代文明で発見されています。装飾品としてはもちろんのこと、高貴な人の埋葬の際に一緒に埋められたりお守りになったりと神聖なものとして珍重されました。
世界貿易を動かしたとんぼ玉
世界貿易を動かしたとんぼ玉
大航海時代、ベネチアでは高度なガラス技術を活かしてトレードビーズと言われるとんぼ玉を作り、西アフリカとの貿易に通貨として用いました。この貿易では、とんぼ玉の対価として多くの現地人が奴隷としてヨーロッパに送られました。残酷な話ですが、当時のアフリカの権力者たちにとってトンボ玉の美しさは人間と引き換えにしても手に入れたいものだったのでしょう。他にもオランダのアジア貿易や、アイヌと中国や本州との貿易においてもトンボ玉は通貨として使われました。
貿易によって世界中に伝播したとんぼ玉は、行く先々で発達しながら工芸技術や文化に影響を与えてきました。アール・ヌーボーの代表的作家・エミール・ガレのガラス作品などにもトンボ玉の影響を見ることができます。こうして世界各地で多種多様のトンボ玉が生まれました。
日本のトンボ玉
日本のトンボ玉
日本では、古墳時代の遺跡からの出土が記録されています。奈良時代にはシルクロード経由で中国からガラス技術が伝わり、国内でもトンボ玉が生産されるようになりました。仏教美術と結びつき室内装飾などにも使われた当時のとんぼ玉は、正倉院に所蔵されています。
日本でとんぼ玉が庶民の手に渡ったのは江戸時代。南蛮貿易を通じて中国、オランダなどの発達したガラス技術が日本に伝えられました。複雑な加工と量産が可能になり、長崎の出島を経て大坂、京都、江戸に伝わり、盛んに作られるようになります。特に大坂では多く作られ、現在も残る玉造の地名はトンボ玉作りから来ている、という説もあるほどです。
この時代のとんぼ玉は江戸とんぼと呼ばれ、花や渦模様などを描き日本独自の発達をします。かんざしや根付に用いられるようになり、上流階級のみならず庶民の間でも大流行しました。
とんぼ玉の作り方
とんぼ玉の作り方
とんぼ玉の製法は色々ありますが、現在主流となっているのはバーナーワーク(ランプワーク)と呼ばれる手法です。まずバーナーで溶かした色ガラスを金属棒に幾重にも巻きつけ土台を作ります。そこに違う色の色ガラスを溶かしながら置いていき、模様をつけるのです。
割れやすいガラスを扱うだけに、作るには熟練の技を要します。微妙な温度の違いで色が変わり模様も変化するので、二つとして同じものは出来ません。
職人の手で一つ一つ手作りされるトンボ玉は、どれも世界に一つだけの作品なのです。