トライバルデザインとは
トライバル(Tribal)とは英語で、『種族の、部族の』と言った意味を持ちます。 トライバルデザインはもともと、サモアなどの赤道付近の太平洋諸島の部族の間で生まれました。 サモアのトライバルデザインは数あるトライバルデザインの中で最も歴史のあるデザインです。 以前は、サモア近辺のデザインをトライバルデザインと呼んでいましたが、今現在では、他の部族が使用していたデザインも含めて、トライバルデザインと呼んでいます。 また、サモアも含め部族によっては、トライバルデザインをタトゥーに用います。 トライバルデザインにはシンプルで抽象的なものが多く存在しますが、それぞれに独自のパターンが存在しており、デザインを生み出した文化の象徴となっています。 ファッションとしての意味合いもあれば、社会的地位や既婚であることのアピールなどに利用されることもあります。 トライバルデザインと一口に言っても様々なものがありますが、代表的なものの一つとして、黒を基調に弧を組み合わせたナイフのようなデザインがあります。 デザインに用いられるのは主にこのデザインです。
トライバルデザインの起源
紀元前約1000年ころの今から3000年くらい前、サモアの島々に人類が住み着いたと言われています。 サモアに初めて住んだのは、現在の東南アジアの人々だと言われています。 その後サモアを拠点に、タヒチ、イースター島、ハワイ、ニュージーランドと人類が移住しました。 そのため、サモア周辺では、サモアのトライバルデザインをアレンジしたようなデザインが多く見られます。 古代のトンガでは、トライバルデザインを主にタトゥーとして使用し、ポリネシア語のタタウはタトゥーの語源となりました。 女性は手や脚に花のようなデザインをタトゥーとして彫るのが伝統的です。 宗教的な儀式や戦争などに深くかかわり、社会的な地位や日本で言う家紋を示すものであったりしました。 現在でも、イノシシの骨を使い伝統と模様を守っている家族もサモアにはいます。 (昔は人の骨が使われていました。)
サモアの歴史について
当時、サモアの戦士たちはひざ下からウエストまで、半ズボンを履いているかのように、デザインされていました。 西暦950年、今から約1000年前、サモアはトンガ王国の侵入を受け約300年間にわたり、トンガ王国の支配下となりました。 1250年、サモア人の反乱が起き、トンガ人を追放し、サモア人へ主権が戻りました。 1700年代末からはヨーロッパの人々がサモアを訪れ、約100年、サモア人から主権を奪われた状態が続きます。 1880年サモアの王権の争いが勃発しました。 この争いは、当時強国であった、ドイツ、アメリカ合衆国、英国の3カ国に原住民が参加し約20年も続く長い争いになりました。 そして、1899年、東サモアをアメリカ、西サモアをドイツが統治することで、一時決着がつきました。 ドイツ領であった、西サモアは第一次世界大戦が始まった、1914年、ニュージーランド軍の占拠を許してしまいます。 1920年、ニュージーランドによる、委任統治領となりました。 同年、現地人サモア人は西サモア独立を求め、自主政府の設立に向け動き始め、組織的な活動を始めます。 この独立運動は現在の国際連合に正式に認められる1962年まで続きました。 一方で、東サモアは1899年当時、アメリカにより占領されたまま、現在まで至っています。 現在のサモアは人口が約18万人が住んでおります。